エルンスト・ルビッチュのRendezvous nach Ladenschluß(閉店後のランデブー)

Rendezvous nach Ladenschluß(閉店後のランデブー)

1947年4月29日、ドイツで公開されたアメリカのMGM製作の映画。

この独題は、オリジナルの直訳ではありません。この作品はDVDが日本でも出ており、観た方は、独題があまり内容に合わないタイトルであることがわかると思います。ちなみに日本では『桃色の店』というタイトルでドイツに遅れること約4ヶ月の1947(昭和22)年8月12日(23日となっているデータもあります)の公開でした。

英語の原題は The Shop Around the Corner(街角の店)。1940年・アメリカ映画監督となっていたエルンスト・ルビッチュの監督作品です。

ルビッチュの映画がドイツで封切公開されるのは、本当に久しぶりのことでした。

単独の監督作品としては

Der Mann, den sein Gewissen trieb (その男、彼の良心を動かす 1932年11月14日/ベルリン・カピトール劇場で封切。英語原題The man I killed(Broken Lullaby)[その男を私は殺した(たどたどしい子守唄)] アメリカ公開1932年1月19日 パラマウント作品)以来となります。

ドイツ公開は日本公開(1932[昭和7]年4月21日 邦題:私の殺した男)よりも遅れたようです。あらすじからもこの作品がナチの宣伝相ゲッベルスから激しい攻撃を受け、ドイツ国内公開禁止映画となったことはある意味仕方がないことでした。

ルビッチュの単独監督作品はこれを最後に約14年半に渡ってドイツのスクリーンから消えることになります。(ただし、共同監督だった1932年作The Clerk[店員]の中のエピソードIf I had a Million[邦題:百万円貰ったら 日本公開1933年2月1日]は、Wenn ich eine Million hätte という独題で1933年10月20日、ベルリンのモーツァルトザール劇場で公開されているというデータがあります。またプロデュース作品である1936年のDesire(欲望)はSehnsucht(憧れ)という独題で1936年4月2日ベルリンのキャピトール劇場で公開されています。ちなみにこの映画の邦題は『真珠の頚飾』で日本公開は同年6月でした)。

さて、話を冒頭のRendezvous nach Ladenschluß に戻しましょう。

この映画はルビッチュの存命中、戦後ドイツに届いた(ナチ時代に塞がってドイツで上映されなかった)最初で最後の作品のようです。ルビッチュはこの年(1947年)の11月30日に心臓発作が元で55歳で没しています。次にドイツのスクリーンに現れる作品はNinotchka(独題も英原題と同じ。邦題:ニノチカ)で、1948年の12月7日です。

ドイツでの ポスター1 ポスター2 ポスター3

ドイツでは字幕版ではなく、ドイツ語吹き替え版が上映されたようです。ポスター2には” DER KLASSIKER VON ERNST LUBITSCH WIEDER IM KINO”とも。いつ頃のポスターなのでしょうか?

なお、吹き替え版の動画もアップされています。

当時のドイツではどんな反応だったのか? 日々の暮らしに追われ、かつてドイツで最も傑出した存在が再びドイツの映画館に帰ってきたことに何かを感じる暇も無かったのか?

ようやく自分の作品がドイツのスクリーンに戻ったことに関して…ルビッチュ自身もどう思ったのでしょうか? 戦後になっても、まだドイツへの憎しみは消えていなかったようですし、どう思ったのかはわかりません。

時間が経てばもう少し違う考えでドイツを見たかもしれません。もっと存命していれば、ポマーやラングのように再びドイツで仕事をすることもあったかもしれませんが…。

いずれにせよ、ルビッチュがドイツで再評価されるようになるまでは、少し時間がかかったことは確かです。それでも1957年に“Ernst-Lubitsch-Preis(エルンスト・ルビッチュ賞)”という、ドイツ映画のコメディに最も業績のあった人に贈られる賞が制定されたことは大きな意味を持ちます。ドイツに背を向けながら、最後は認められたのですから。

世代が代わり、リマスター技術が発達し、ネット映像も拡散し、サイレント映画への見方なども変わってきたりする中で、再びドイツで大きな存在となっていったルビッチュ。むしろこの時代に生きる人の方が、ルビッチュの映像を気軽に楽しめるわけです。

なお、蛇足ですが…日本において『桃色の店』は『Bluebeard’s Eighth Wife アメリカ公開1938年3月23日 邦題:青髭八人目の妻 日本公開1939(昭和14)年5月11日』以来のルビッチュ映画となりました。

煩想亭覗庵 について

ドイツ語が不自由なドイツ映画ファン。知識・見解にかなりの偏りあり。いろいろ教えてくださいませ。
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