真珠湾攻撃の日を挟んで…ドイツ映画『舞姫記』日本興行惨敗記

ドイツ映画 Fanny Elßler  ドイツ本国公開1937年11月4日

リリアン・ハーヴェイ主演、パウル・マルティン監督の映画のひとつです。

ドイツでの評判はどうだったかわかりません。何にしろドイツ映画を扱ったどの本でも、大きな扱いにはなってなかったと記憶しております。ソフト化もされていないようですし、You Tubeなどでも画像が見当たりません。

2017年10月12日追加 断片版

この映画は、『舞姫記』という邦題がつき、1941(昭和16)年11月28日に日本国内での公開と相成りました。

11月28日からは名古屋、京都、大阪、神戸などで上映開始。

12月9日からは東京で上映開始。

ドイツ上映から約4年のタイムラグがありますが…前年(1940年)末には日本の倉庫に入っていたことは確かです。まだドイツとソ連の開戦前、シベリア鉄道で満洲国に運ばれ、満映を通じて日本に入ってきたドイツ映画のひとつでもあります。

なかなか上映網に乗ることがないまま宙に浮いていたようですが、輸入映画の名門商社・東和商事により、松竹洋画系で上映される運びになったのは、1941(昭和16)年の暮れも迫る時期でした。

『舞姫記』雑誌広告1 『舞姫記』雑誌広告2 『舞姫記』雑誌広告3

『舞姫記』雑誌広告4 『舞姫記』雑誌広告5 『舞姫記』雑誌広告6

『舞姫記』雑誌広告7

物語の内容(『映画旬報』より)

登場人物紹介(雑誌広告より)

リリアン・ハーヴェイが19世紀の実在の舞踏家ファニー・エルスラーに扮し、ナチになってから台頭してきた美男俳優ロルフ・メービウスが扮する(これまた実在の人物である)ナポレオン二世との間に起こった恋物語(両者は実際に面識はあったようですが、本当に恋愛関係になってはいなかったらしいです。ただ、噂としてはあった)のようです。当時の雑誌広告では、背景の史実が述べられています

「こんな物語が日本で受けるわけがない」と思われるかもしれませんが…この物語の背景になっている時代と舞台は、1934(昭和9)年に日本で超ヒットしたハーヴェイの主演映画『會議は踊る』と同じ、19世紀前半のウィーンです(途中から物語の舞台はパリに移るようですが)。また、『會議は踊る』にも登場したオーストリア宰相・メッテルニヒも登場(演者は違いますし、物語の中での役割も違いますが)。そういったこともあり、一応、(日本興行上の)勝算はあったのでしょう。

さて、蓋を開けてみるとどうなったか…。

11月28日からの名古屋興行の様子は…。

増税前のデパートに、当てにしていた女性客を取られたとありますが…。たいした評判にはならなかったことは確かなようです。

ちなみに、同ページにありますが、1941(昭和16)年末の日本の映画興行は、『川中島合戦』、『元禄忠臣蔵 前編』、『江戸最後の日』が3強と見られていたようです。『江戸最後の日』がこの中では興行上やや遅れ気味だったようですが…『舞姫記』はこれら先頭集団に割って入るどころか脱落状態の模様。

神戸でも惨敗

京都でも惨敗

神戸・松竹座では12月6日に予定通り『舞姫記』上映を終了。同月7日からはアメリカ映画『雨ぞ降る』を再映したところ、客足回復ということに

ところが…。

12月8日には、日本軍の真珠湾攻撃があり、日米(さらに日英)開戦となってしまいました。

せっかくアメリカ映画で客足回復となった神戸の松竹座は、9日にはドイツ映画『美の祭典』に差し替えた模様。開戦後の緊張もあってか客足は冷えたままのようです

名古屋も混乱していたようです。

日米開戦によって、日本の映画街は灯火管制もあって閑散としてしまいます

日本の映画館、特に二番館(名画座)は大混乱します。リピートものは、この時期でもアメリカ作品の人気が圧倒していました。しかし、一気に日本映画もしくは枢軸国映画(ドイツ、イタリア、そしてヴィシー政権下ということでフランスも枢軸国扱いされた模様)に取替えとなります。

さて、日米開戦の翌日となる12月9日。いよいよ『舞姫記』の東京上映が邦樂座武蔵野館大勝座で始まります。11日からは横浜のオデヲン座でも上映開始。アメリカ映画の排除でメチャクチャになっていた日本の映画興行でしたが、洋画でもドイツ映画『舞姫記』だけは問題なく、予定通りに上映と相成ったようです。

12月9日の読売新聞4面には、

『會議は踊る』を凌ぐ音樂舞踏名篇! リリアン・ハーヴェイ主演

などと…。広告も予定通り掲載されたようです。

ちなみにこの日の1面は…。

風雲の歴史の到来を告げています。非常に有名な日の、有名な1面。そんな日の新聞に掲載と相成った唯一の洋画広告(…と思いきや、同じ4面には名画座の広告があり、オーストリア映画『ブルク劇場』、日本映画『女醫の記録』とともに、目黒キネマで上映される英国映画『幽霊西へ行く』の広告があります。おそらく英国映画ということで禁止になったとは思いますが、何かチェックをすり抜けてしまったようです)。

東京では、「朝日新聞」も(開戦の少し前になりますが)12月4日夕刊2面広告を載せています。1面は、日米関係の悪化が語られているようですが…。

さて、肝心の映画ですが…(上でも申したように)今回の記事を書くにあたってネット上に断片版でも動画がないか探してみましたが見当たらず…。DVDなどのソフトも見当たらないので、自分としてはなんともいえませんが…。

当時の『映画旬報』にある、村上忠久による批評

によると…それほど面白いものではなさそうです。ハーヴェイともなると、何か歌って欲しかったようで。

さて、東京での封切り興行の結果は…残念ながら惨敗に終わった模様。真珠湾の影響は、この時期に映画館にかかったすべての作品についていえること。不振の理由にはならないはずですけど。

『舞姫記』というタイトルにも問題ありと…森鷗外の「舞姫」でも連想して客が来るとでも考えたのでしょうか?

結局、物語の内容がいまいちだっただけではなく、日本の映画ファンにとって、ハーヴェイはとっくに飽きられていたということではないでしょうか?

真珠湾以後も、上映中であれば広告は続きます。

興行上は不振であっても、さも好評であるような広告も打たれていたようですが…。

新聞広告もしばらく続きます。

1941年12月11日朝日新聞夕刊2面の広告 2面全体 1面

『舞姫記』と併映される『モスコー(モスクワ)進撃』とは、ドイツ軍のニュース映画かと思いきやチャイコフスキーの曲が流れる音楽映画のようです。『舞姫記』劇中でもチャイコフスキーの曲が奏でられているため、セットにした模様です。なお、ドイツ軍のモスクワ進撃は、この日付の時点(1941年12月11日)では完全に失敗に終わっていました。

1941年12月18日朝日新聞夕刊2面の広告 2面全体 1面

『舞姫記』と併映されるのは、何やら日本の国威高揚映画のようです。『舞姫記』広告の右隣にある、二番館洋画広告には、フランス映画と並んでドイツ映画『女の心(新板)』が。この映画は、ユダヤ人監督のパウル・ツインナー、主演女優のエリザベート・ベルクナーがヒトラー政権発足直後に脱独しており、おそらくナチ政権下のドイツでは上映されていなかったと思われますが…日本ではアメリカ映画上映禁止による洋画不足もあってか普通に観られた模様です。

さて、封切上映時は不振だったような『舞姫記』ですが…アメリカ映画が日本の二番館から消えてしまったこともあり、この映画は戦時下の日本においては、そこそこ再映されてはいたようです。

1942年1月8日朝日新聞夕刊2面の広告 2面全体 1面

1942年1月8日読売新聞夕刊1面の広告 1面全体

併映される『バルカン電撃戦』は、ドイツ軍の宣伝中隊PK(Propagandakompanie)によるもの。1941年のドイツ軍によるバルカン侵攻は、独ソ戦のタイムスケジュールを狂わせ、ドイツ軍がロシアの冬に呑み込まれる遠因ともいわれますが…とにかくバルカンの戦いはドイツ軍の一方的な勝利に終わったことは確かなようで。

1942年1月28日読売新聞朝刊4面の広告 4面全体 1面

「春場所 国技大相撲 前半戦」と併映。まだネットもテレビもなかった時代、大相撲はラジオで実況を、新聞で結果などを、映画で動いている姿をチェックする時代だったようです。1面はマレー半島の戦いなどが中心です。

1942年2月4日読売新聞朝刊4面の広告 4面全体 1面

この時期は「国技大相撲 後半戦」と併映。1面は「シ港」(シンガポール)陥落間近と、東南アジア戦線を詳しく伝えています。

1942年9月13日読売報知朝刊4面の広告 4面全体 1面

3日に1本のペースで旧作を入れ替えている東京中央劇場において、上映されているようです。同じハーヴェイの主演映画『カプリチオ』や、ラ・ヤーナ主演の『空中劇場』、『ヴァリエテの乙女』などのドイツ映画も上映されています。1面にある「ス市」とは「スターリングラード市…現在のヴォルゴグラード市」のことです。スターリングラード攻防戦の激しい攻防の真っ最中のようです。

1944年3月2日読売報知夕刊2面の広告 2面全体 1面

文化映画『石川啄木』と併映。1面はドイツの苦戦を報じています。

日本上映時、ハーヴェイはすでに脱独していたわけですが…本国ドイツではこの時期でも『舞姫記』こと“Fanny Elßler”の再映とかはあったのでしょうか? また、この映画が輸出されたヨーロッパの近隣諸国などではどうだったのでしょうか?

もしかして、戦時下の日本は世界で唯一『舞姫記』が観られる国だったりして…たいして自慢にならないかもしれませんが。

(「読売新聞」「読売報知」(東京版)の コピーおよび掲載につい ては、国立国会図書館利用者サービス部長様の許可をいただいております。なお、読売新聞は同館所蔵のマイクロフィルムをコピー元とい たしました。なお、朝日新聞および映画旬報の記事は東京国立近代美術館フィルムセンター図書室所蔵資料のコピーです)。

煩想亭覗庵 について

ドイツ語が不自由なドイツ映画ファン。知識・見解にかなりの偏りあり。いろいろ教えてくださいませ。
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